誕生日の日以来、久しぶりに親友へメールをしてみた。
私にも親友と思える友達が何人かはいるのだけれど、一番付き合いの長い友人。
お互いに「別に私たちはずっと連絡をとらなくたって大したことはない。変わらない」
そう言いながら20年ほど過ぎた。
私が先に結婚して、一人になるのが(独身でいることが)怖いと泣いた彼女。
思い直して結婚式の日にやっとおめでとうと言ってくれた。
それからまた変わらない二人になった。
私は幸せになるんだと思って結婚してから、全く幸せが見いだせないまま色んなことが起こり、泣いて落ち込んで、怒って、疲れ果てた。
彼女はその間もずっと話を聞いてくれ心配してくれていた。ありがたかった。
その後、結局私は離婚し一人になった。すがすがしい気分だった。
それから数年経ち 彼女もやがて結婚した。嬉しかった。
計画的に子供もできた。
私も何だかんだで再婚をして遠くへ引っ越した。
まだ子供はいない。
早く子供を作れと彼女は毎回電話で言った。こればかりは努力しても報われるわけではなく(しかもちゃんと努力している)
計画的に子供ができる彼女には私の気持ちは理解できないだろうとも思っていたけれど
やっぱり電話口でひっきりなしにその話題を出されると少し心が痛かった。
それから3年。
彼女は夢だった専業主婦を続けていて二人の子供の育児に奮闘中。
私は変わらず夫婦二人。
もちろん望んではいるけれど、だからといって周りを羨んでいるかといえばそうでもない。
2人でも楽しく過ごしているし、私なりの気持ちの折り合いはついているから。でもそういう気持ちは私にしかわからないペースで至ったもので、周りはにはわからないだろう。と思う。
もうさすがに子供の話はしてこなくなったけれど、そうするとお互いに何を話していいのかわからなくなってくるのだ。
最近は誕生日の時に、薄っぺらいおめでとうメールと、元気にしてるよという内容のないやりとりだけになってしまった。
今日久しぶりにメールをしてみた。
「子供たちも大きくなっただろうね」と言ったがそこはスルー。でも共通の話題などあるわけもなく、あるとすれば昔の思い出話くらい。
ってことはもう話題は続かない。何となく探るようなメールのやり取りをしてみたけれどお互い具体的な話をするわけでもなく、忙しい時間にごめんねとやりとりを終えた。
あぁ。きっともう私たちは違うんだな。
さみしいけれど仕方ないことだ。彼女もきっと私に気を使っていろんなことが言えなくなっているのだろう。気遣ってくれているのだと思った。
環境が違えば、苦しみも違う。そこはもう同じ経験をしている人との方が絶対に共有できるから。どれだけ仲が良かったと思っても、時は経ち、私たちは大人になったのだ。
そして、もうあの頃のように二人で顔を見合わせて心から笑いあうことはできないのだろう。
変わらないものもあれば変わっていくものもある。
時が過ぎるとはそういうことなのだ。
それが嫌だとか悲しいとか、そういう事ではなく
そういうものなのだなと思う冷静な自分がいた。