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anemone

美味しいものの話から、ただの独り言まで。

たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える

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「たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える」読了

 【あらすじ】

とある雪の日、ショッピングモールの屋上から、ひとりの少女が飛び降りようとしていた。その様子に気づき、とっさに少女を助けたのは、関西弁のインド人「オム」と笑わないピエロ「修二」。二十代半ばの二人は、屋上で開催されるイベントに、パフォーマーとして呼ばれていた。

彼らによって少女の命は救われたものの、その瞬間、オムと修二の運命の歯車は動き出してしまう。飛び降りようとしていた少女の持ち物は、紙に包まれた一万円札。こんな大金をどうして持っているのか、修二は少女に聞いた。すると少女は、母親から「これでしばらく暮らしなさい」と言われたという。修二は確信した。そして、その確信を言葉にして少女に伝える。「君、捨てられたんだよ」実は、修二にも同じ過去があった。

二十五年前、産まれてすぐの修二は、公園の草の茂みに捨てられた子どもだったのだ。悲しい共感を抱く修二に、少女は一枚の写真を差し出した。その写真に写っていたのは……三年前のピエロ姿の修二。しかし、修二と少女が会ったのは、この日が初めて……。いったい、少女はなぜ修二の写真を持っていたのだろうか。そのヒントとなるのは、一万円を包んでいた「紙」に隠されていた。若くして日本へ来たオムと、心に闇を抱える笑わないピエロの修二が、ひとりの少女との出会いにより、人生のシナリオと向き合うこととなる。 (インターネットより抜粋)

 

‘号泣する準備ができるまでは決して読まないでください’という帯に少しふふんと笑うような気持で読み始めた本でした。ごめんなさい、泣きました。

 

以下、感想というか今の私の思い。

 

人は誰かを許しながら人生を歩んでいる。過去を見ながら進む人生は「ごめんね」の連続かもしれないけれど、大切なのは「今」この瞬間。

例えば誰かが死んだ時。こうしてあげればよかった、ごめんね。ああしてやればよかった、ごめんねと思う。身近な人には余計にそう思うことが多い気がする。近ければ近いほど大切にできない時もあるし、嫌な態度をとることもある。一番近くにいる家族は知っているようで知らないことも多くて、いなくなったあとに気付く‘愛’に後悔の気持ちが湧いてくるからだろう。きっと謝ることで自分が前に進める気がするからそうするのかな。私は死んだ経験はないけれど、死ぬときにも同じ気持ちになるんだろうか。

死に慣れることなどないけれど、私も何度かそれ(見送る)を経験することで ありがとう や ごめんね 大切だよと言う事の大切さを知った。どんなに良くない思い出のある人でも「許す」ことは大切で、人を許すことで自分も許されていくような気持にもなる。許せないことが多いと人生は生きづらいから。

そうする。

今までの人生で「当たり前」だったことは、実は当たり前なんかじゃなくすべて 愛 のなせる事なのだと、それは失くしてから気づくことが多い。だから後悔するのかもしれないな。誰かに愛されて、人は生きられる。誰かに必要とされた時に生きる喜びを感じられる。誰かのために生きることで喜びを感じていくのかもしれない。

なんてことを考えていたら周りの人に今すぐに電話して「ありがとう!大好きだよ!」と伝えたくなった(単純)。

過去や未来を考えすぎず、今日という日を後悔のないように、ただただ一生懸命に生きる。

それだけでいい。だから誰かを嫌ったり恨んだりしてる暇はない。一緒に人生を歩んでいる親や友達や伴侶へ感謝を伝えたいと思った。